Saturday, May 26, 2012

スペイン巡礼(ワールドユースデー・サンチャゴ・デ・コンポステーラ徒歩巡礼)を経て

※ほぼ1年前に在籍している麻布教会の広報誌に寄稿した感想文ですが、周囲の方からポストしてとのリクエストがありましたので、今更ながらブログ向けに編集し、投稿いたします。

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 ワールドユースデー(以下 WYD及びサンチャゴ・デ・コンポステーラへの100km巡礼の旅に参加したことは、私の人生で、生涯忘れられない夏となりました。この巡礼の旅への参加の機会をくださった麻布教会の皆様に感謝いたします。


【サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼ゴールの大聖堂】
Photo from Wikipedia


 まず、私が参加したWYDについて、少し説明をいたします。WYDは、23年の周期で、ローマ教皇様と世界のカトリックの青年200万人以上がイエスの名のもとに開催地に集結し、国境、年齢、性別の壁を乗り越え、カトリック信者としての絆を分かち合うと同時に、キリストに根ざして生きることがどういうことかを考え、信仰を深める大会です。大会最終日のミサは、前夜から会場に集まり、野宿をして朝を共に迎え、教皇様によるミサに与ります。

WYD 2011 教皇様によるミサ会場にて】

 上の写真のように若者同士が熱く湧き上がる場面もありながら、教皇様と共に静かに祈るプログラム「十字架の道行」、「聖体礼拝」などや、巡礼団ごとにカテキズムのプログラムが用意されています。

 今回、開催国がスペインということもあり、日本の事務局がマドリッドの大会にサンチャゴ・デ・コンポステーラへの100km徒歩巡礼を組み合わせ、合計2週間強のプログラムを企画してくださいました。麻布教会からは、3名(関島慶太さん、岩間啓生さん、私)が全期間サンチャゴとマドリッドの両コースに参加いたしました。
【麻布教会 参加者での記念撮影】

 日本から前半のサンチャゴ巡礼に参加した人数は140名、後半のマドリッドで2 00名が加わり、総勢340名の巡礼団となりました。参加者は、北海道から沖縄の教区から大学生を中心に社会人や神学生、シスター、神父様、司教様、大司教様など、さまざまでした。
【日本巡礼団 マドリッド市内にて】


 さて、今回のWYD巡礼(特にサンチャゴ・デ・コンポステーラへの徒歩巡礼の100キロ)の旅を通して、私は多くのことに気付かされました。その中でも最も印象に残っていることは、以下の3つです。1つ目に神様の大きな愛を感じたこと、2つ目は、モノに執着しないこと、3つ目に自分の限界に対する認識を改め直したことです。

 1つ目の大きな神様の愛ですが、まず神様が私をスペインのWYDに呼んでくださったことはもちろんのこと、無事に怪我や病気にかかることなく100km歩いてサンチャゴまで導き、見守ってくださったことにあると思います。特に寝袋や生活用具の詰まった10kgの荷物を炎天下の中持って歩くという行為は、心身共にこたえるものがあり、非常に不安で過酷な修行(巡礼)です。

このような巡礼でも毎日太陽の光を受け、スペインの美しい景色の中を歩き、巡礼団仲間と祈りを通して一体となり、遠く離れた家族や友達からメールで声援を受け、時には道に迷いながらサンチャゴへの帆立印の道標に誘導され、サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に到着した時は、神様とサンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に眠る聖ヤコブにこれまでの不安が開放され、「もう大丈夫だよ」と優しく包み込まれ、多くの愛と祝福を受けた感じがして、自分でも分からないほど涙が止まりませんでした。

【サンチャゴへの帆立の道標】

 2つ目のモノに執着しないということについては、まさにスーパー断捨離ライフを約1ヶ月体験し、見えるモノにこだわることよりも、見えないモノのほうが大切であると感じた瞬間でした。リュックサック1つの生活では、むしろモノが少ないほうが軽快に歩くことができます。また巡礼をしていると、自分が何者かといったこと(職業や肩書き)がどうであるかは、全く関係ありません。むしろ自分の人生のミッションは何かを知るため、毎日懸命に祈り、神様の声に耳を傾けているか、仲間を大切にしているかどうかといったことのほうが、大事であることに気付かされました。

時には自分のこだわりを持つことも大切ですが、巡礼の旅では、「モノ」にこだわりを持ちすぎると先に進むスピードが落ち、苦しくなります。人生も巡礼と同じで、身軽かつシンプルに行くことが大切だと実感しました。そして、人は、目の前にモノがないと不安になりますが、この巡礼では、物理的にモノなかったり、ゴールが手に取るように見えなくても、後で必ず光が見えることを信じ続け、一度全てを捨ててみることを教えてもらいました。

【サンチャゴへの徒歩巡礼の様子】
 最後に自分の限界に対する認識が改まったことですが、私は今回のサンチャゴ徒歩巡礼をする前から、自分は絶対に途中で脱落したり、一番最後に目的地に到着するのではないかと思っていました。それは、股関節痛を持っていることや、30代という年齢を憂い、巡礼出発まで不安な毎日を過ごしていました。

 ところが、実際に現地で歩いてみると、日頃のトレーニングが役に立ったのか、軽快に先頭集団の仲間と歩くことができた上、全く筋肉痛にもならず、むしろ巡礼の旅を楽しむことができ、自分の身体能力と可能性の高さを改めて発見し、自分自身に驚きました。そこで思ったことは、私は歩く前から自分で自分の可能性に壁を作っていたことに気が付きました。試す前から一方的に諦めたり、マイナス思考が働き、自ら限界を作っていたことを。自分が自分の体に限界を教えてもらう前に、勝手に心で決めてしまっていたということを反省しました。

 人生も同じで、自分が試す前から「私になんて無理」と最初から決めつけてしまうことがよくあります。しかし、やはりやってみないと分からないことは、多く存在しており、年齢や性別、自分のおかれている状況、表面的な情報に左右され過ぎてしまうこともよくあります。もちろん、人生経験や知恵を通して、考えることは重要ですが、体を動かしてみること、まずはやってみることが大切なのではないかと実感したので、これからも更に様々なことにチャレンジしたいと思うようになりました。もちろん、自信過剰になって、無理してしまうのもよくないので、身の丈に合ったチャレンジが大事なのかもしれません。

 結論として、私たちは皆、神様、そしてイエス様から祝福され生まれてきたこと、そして、世界中の人々とつながっており、仲間がいるということ、モノに執着せず、夢や希望を持ち、チャレンジすることを短期間に教えていただきました。これは、巡礼に行かなくても日頃の生活からも学ぶことができることです。しかし、普段忙しい生活を送っていると、気付くはずのことも知らないうちにスルーしてしまいがちです。私にとってWYDや巡礼の旅は、その気付きを与えていただくための、特別な機会となりました。

 これから普段の生活に戻り、人生の巡礼を歩むことになります。震災、紛争、不況など、不安なことが多い世の中ですが、WYDでの経験を忘れず、少しでも子供たちが夢と希望を持てるような社会になるよう、貢献していきたいと思います。

このような貴重な機会を体験させていただいたことに本当に感謝しております。改めて、麻布教会の皆様、運営委員会の皆様、そして藤井神父様、シェガレ神父様、ご支援いただき、誠にありがとうございました。これからも麻布教会の一員として頑張りたいと思います。
【サンチャゴ・デ・コンポステーラにて】